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東京地方裁判所 平成5年(ワ)16638号 判決

原告

吉田良子

右訴訟代理人弁護士

前田知克

(他四名)

被告

ジェー・イー・エス株式会社

右代表者代表取締役

平山春樹

右訴訟代理人弁護士

手塚敏夫

山崎明徳

主文

被告は原告に対し、四七一万二四〇〇円及びこれに対する平成五年九月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、九七一万二四〇〇円及びこれに対する平成五年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の従業員であった原告が、被告から受けた懲戒解雇には理由がなく、この理由も告げられずになされた無効・違法な解雇であると主張して、被告に対し、未払賃金のうちの一部分である四七一万二四〇〇円と不法行為に基づく慰謝料五〇〇万円、合計九七一万二四〇〇円の支払いを求め、被告は、原告に対する解雇は通常解雇であり、解雇理由は無断欠勤、遅刻、無断早退であって、有効な解雇であると争っている事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、平成三年四月八日、国内外の各種展示会等の催物等の企画運営等を営業目的とする被告に雇用され、ショーの企画・調査等の業務に従事していた。

2  ところが、原告は、平成四年五月八日、被告から前述の理由で解雇の意思表示(以下、「本件解雇」という)を受けた(但し、この解雇につき、原告は懲戒解雇であったと主張し、被告は通常解雇であったと主張している)。

3  原告の本件解雇当時の賃金は一か月三〇万八〇〇〇円であり、被告は原告に対し、本件解雇は有効であると主張して平成四年五月分として二一万五六〇〇円を支払ったものの、これ以降の賃金を支払わない。

二  争点

本件解雇は、懲戒解雇、通常解雇のいずれであるか。

本件解雇の有効性、すなわち、賃金請求権の有無と本件解雇についての不法行為の成否及びこれが肯定された場合の損害額如何

第三争点に対する判断

一  本件解雇は通常解雇、懲戒解雇のいずれであるか。

証拠(略)によると、次の事実を認めることができる。

原告は、平成四年四月二二日、被告の日本における責任者のチーフ・エグゼクティブの坪井輝隆(以下、「坪井」という)に対し、同月二七日から翌月の七日までバンコクに勤務中の夫を訪問するため六日間の休暇を申請したところ、坪井は、これの承認を与えなかった。しかし、原告は、後記認定の被告との間に存した特別休暇に関する合意の存在を理由にそれを無視して右の間休暇を取得したため、坪井は、被告の一〇〇パーセント出資の親会社である通称オー・イー・エス社に原告の右休暇取得を報告するとともに、原告の解雇希望を述べたところ、オー・イー・エス社は、原告との右合意が存しないとの前提のもとに役員会で原告の解雇を決定し、この意向を受けた坪井は、同年五月八日、原告を喫茶店に誘い、同店において、原告に対し、原告の勤務状況は悪く、今回も勝手に欠勤し、これまでも何回かに亘り業務命令違反等があったことを挙げ、原告をこれ以上雇用継続することはできない旨述べた。これに対し、原告は、格別に反駁することもなく、一応これを受け入れたかのようであった。しかし、被告は、本件解雇を明確にするために、原告に対し、同月七日付同月一四日到達の書面で、「就業規則三九条により同月八日付をもって契約を終了いたします」との通知をし、同月一四日、本件解雇の予告手当として三〇万八〇〇〇円を振込送金した。もっとも、右通知書にある就業規則は、被告のではなく、オー・イー・エス社が一〇〇パーセント出資している株式会社イー・エム・エスの就業規則であった。

右認定事実によると、本件解雇は、原告主張のように懲戒解雇であるということはできず、通常解雇であったということができる。

原告も、坪井から本件解雇を告げられた状況につき、坪井から喫茶店に誘われ、「あんたは、俺の言うことを聞かないから辞めてもらうよ、荷物をまとめてさっさと出ていけ」と言われたと供述しており、この供述からも本件解雇が懲戒解雇の趣旨でなされたと認めることはできない。

そうすると、原告の、本件解雇は懲戒解雇であったのに通常解雇としての体裁を整えているので手続的にも無効である等とする、本件解雇が懲戒解雇であることを前提とした主張は採用しない。

二  本件解雇の有効性(賃金請求権の有無)について

1  本件解雇理由の存否について

(一) 無断欠勤について

(被告の主張)

原告は、次の通り無断欠勤をした。

平成三年四月一五日、同年六月一八日、同年七月二日及び三一日、同年八月一日及び二日、同月五日から九日まで、同月一二日から一六日まで、同年九月一七日から二〇日まで、同年一二月二五日から二七日まで、平成四年一月六日から八日まで、同月一六日、同月二二日から二四日まで、同年二月七日及び一〇日、同年三月一一日及び二〇日、同年四月二七日、二八日及び三〇日、同年五月一日、六日及び七日

(原告の答弁)

原告は、被告の主張する日に出勤しなかったことは認める(但し、平成三年一二月二五日から平成四年一月八日までの間のうち、二日間はバンコクにおいて被告の業務に従事した)が、これは無断ではなかった。すなわち、原告は、被告に雇用されるに際し、被告との間で、原告の夫が海外(バンコク)勤務をしていたことから、毎年暮れから一月にかけての期間、五月の連休の期間及び八月のお盆の期間に各二週間ずつの休暇を取得してもよい旨の合意をなしていたのであり、原告は、この合意に基づいて休暇を取得したに過ぎない。

(当裁判所の認定事実)

先ず、原告の主張する被告との特別休暇取得に関する合意の存否について検討する。

証拠(書証略、原告本人の供述)によると、次の事実を認めることができる。

被告は、平成二年五月、国内外の各種展示会等の企画運営等を目的とする前記株式会社イー・エム・エス(代表取締役は平山春樹)の国内展示部門を引き継ぐ目的で設立され、設立当時の代表取締役は右会社の代表取締役の平山春樹であったが、日本における実務運営の担当責任者はチーフ・エグゼクティブのポール・キナーであった。

原告は、被告に雇用される以前は株式会社イー・エム・エスに雇用されていたが、平成二年三月末、夫の外国勤務(バンコク)に同行するために退職した。この退職に際し、原告は、当時株式会社イー・エム・エスのジェネラルマネージャの地位にあったポール・キナーから将来も共に勤務することを要望されていたことと、原告自身もこれまでの業務経験を生かした仕事に就きたいとの希望を抱いていたこともあって、被告に雇用されるようになったのであり、担当業務内容は、展示会の企画・開発・調査、広報宣伝業務で、展示会開発部長の肩書きで業務遂行をしていた。しかし、原告は、夫が外国勤務に就いていたので、夫の元に少なくとも年三回の訪問をしたいと考えていたことから、被告に雇用されるに際し、ポール・キナーに毎年五月の連休期間、夏期のお盆と年末年始の期間をそれぞれ利用して夫を訪問したいのでこれらの期間についての特別休暇を認めて欲しい旨を要望したところ、ポール・キナーは、この要望の趣旨を了解し、この要望を受け入れることとした。もっとも、原告とポール・キナーとの話し合いは右の限度に止まり、右特別休暇取得に関しての手続、有給・無休のいずれにするか等の細部に関しては話し合われなかったのであって、ポール・キナーは、原告が具体的に右休暇を取得するに当たっては事前の個別的な承認を必要とするものと考えていたが、原告は、右の期間は原告の希望するとおりに特別休暇を取得することができることとなったものと受け止めていた。

以上の事実を認めることができ、これによると、原告と被告との間で、原告の夫が外国勤務をしていたことから原告が夫を訪問するために毎年五月の連休期間、夏期のお盆と年末年始の期間には休日以外に特別休暇を取得できる旨の合意が成立したものということができるが、この合意は右の程度の漠然としたものであって、原告は、右の期間は原告の希望するとおりに特別休暇を取得することができるものと認識し、被告は、この休暇取得については事前の個別の合意を要するものと認識していたのであって、この点に関しては原告と被告との間で認識の不一致があったということができる。

以上のとおりであるから、この点に関する原告の主張が、原告は右の期間であれば希望するとおりの特別休暇を取得することができるとの合意が成立していたとの趣旨であるならば、この趣旨の合意は成立していなかったのであるから、採用することができない。

そこで、次に、被告の主張する無断欠勤についてみることとする。

証拠(書証略、原告の供述)によると、次の事実を認めることができる。

平成三年八月一六日はタイムカード(書証略)では出勤とはなっていないが、原告がタイムカードの裏表を押し間違えたため、実際には出勤していたにもかかわらず打刻されなかったのであり、同年七月三一日から同年八月一五日までは前記合意のもとでポール・キナーの承認を得て夏期の特別休暇を取得したのであり、同年四月一五日、同年六月一八日、同年七月二日、同年九月一七日、平成四年一月一六日、同月二二日から二四日まで、同年二月七日及び一〇日は、いずれも原告が被告に事前に連絡した上で病気のため欠勤したのであり、平成三年九月一八日から二〇日までも原告が被告に事前に連絡した上で病気検査のため入院したのであり、平成四年三月一一日及び二〇日についても原告が被告に事前に連絡した上で体調不良のため欠勤したのであり、また、平成三年一二月二五日から二七日まで、平成四年一月六日から八日までについては、原告は、ポール・キナーとの前記合意により当然特別休暇を取得できるものと考え、坪井に休暇の申請をしたが、坪井はこれに承認しなかったのに、これを無視して欠勤した。もっとも、原告は、右欠勤の間、被告の親会社の日本法人担当取締役スティーブ・ラフから依頼されたタイ王国の商務省等にシーフードショーの出展企業集めの仕事に従事した。平成四年四月二七日から三〇日まで、同年五月一日、六日及び七日については、原告は、前記ポール・キナーとの合意により当然休暇を取得できるものと考え、坪井に休暇中に緊急に処理すべき案件を手配したうえで休暇の申請をしたが、被告にあっては、同年五月二〇日から二三日までインテリアの展示会が、同年二七日から三〇日までワインの展示会がそれぞれ予定されていたことから、坪井は、これに承認を与えなかったが、これを無視して欠勤した。

以上の認定事実によると、原告は、平成三年一二月二五日ないし二七日、平成四年一月六日ないし八日までの間、同年四月二七日ないし三〇日、同年五月一日、六日、及び七日の合計一二日間(但し、うち二日間は被告の業務に従事したので、実質は一〇日間)の無断欠勤をしたこととなる。

(二) 無断早退について

(被告の主張)

原告は、次の通り無断早退をした。

平成三年四月八日、九日、一〇日及び二六日、同年七月一一日、二四日、二五日及び三〇日、同年一二月一六日、平成四年二月一三日、一七日及び一八日、同年四月三日

(原告の答弁)

否認する。いずれの日も早退していない。

(当裁判所の認定事実)

証拠(書証略、原告の供述)によると、次の事実を認めることができる。

勤務時間は午前九時から午後六時までであったところ、平成三年四月については、タイムカード(書証略)によると、八日は午後二時に、九日は午後六時一五分に、一〇日は午後六時三〇分にそれぞれ退社したこととなっており、二六日は退社時刻が打刻されていない。しかし、八日は原告の初出勤の日であり、原告は、ポール・キナーと打合せをした後翌日から通常勤務に服するということとなって同人の了承を得たうえで退社したのであり、二六日は病気のために検査入院し、これについては上司の承認を得ているので、四月については被告主張の日に無断早退していない。

同年七月については、タイムカード(書証略)によると、一一日、二四日、二五日及び三〇日のいずれも退社時刻が打刻されていない。しかし、原告は、一一日は、午後から六時ころまで鹿島建設株式会社において行われた打合会に出席しており、二四、二五の両日は午前九時から午後六時までウィザード研究所で行われたリゾートセミナーにポール・キナーの指示のもとに出席し、夜間は情報交換のパーティに出席しており、三〇日は勤務時間終了まで勤務していたが、タイムカードを押し忘れたため退社時刻の打刻がないのであるから、七月については被告主張の日に無断早退していない。

同年一二月一六日については、タイムカード(書証略)によると、退社時刻は打刻されていないが、原告は、午後五時から農林水産省流通企画課職員と打合せをしており、被告に連絡のうえ直帰しているので、無断早退にはならない。

平成四年二月については、タイムカード(書証略)によると、一三日は退社時刻が打刻されておらず、一七日は午後五時五五分に、一八日は午後五時五三分にそれぞれ退社したこととなっている。しかし、一三日は、原告は午後から幕張メッセに展示会の視察に行って遅くなったために被告に連絡のうえ帰宅したのであり、無断早退とはならないので、二月については一七日に五分、一八日に七分早く無断で退社したこととなる。

同年四月三日については、タイムカード(書証略)によると、退社時刻の打刻時間が明確を欠くが、原告は、綜合ユニコム株式会社企画営業部員らと打合せをしたうえで直帰したのであり、無断早退したこととはならない。

(三) 遅刻について

(被告の主張)

原告は、次の通りの遅刻をした。

平成三年四月八日、九日及び一一日、同年五月七日、八日、一六日及び一七日、同年六月二一日、同年七月九日、一六日、一九日、二二日、二四日、二五日及び三〇日、同年八月二一日、二二日、同月二六日及び二七日、同年九月四日及び五日、同年一一月二一日、二六日及び二八日、同年一二月四日及び五日、平成四年一月二〇日、同年二月一四日、同年三月一三日、二五日及び二七日、同年四月三日、二〇日及び二五日

(原告の答弁)

否認する。タイムカード上での出勤時刻の遅れは打刻待ちのためである。

(当裁判所の認定事実)

証拠(書証略、原告の供述)によると、次の事実を認めることができる。

出勤時間は午前九時となっていたところ、平成三年四月については、タイムカード(書証略)によると、八日は正午、九日は午前八時四五分にそれぞれ出勤したこととなっており、一一日は打刻時刻が不鮮明で、他に原告の出勤時刻を明らかにする書類はない。しかし、八日は、原告は、この日が最初の出勤日であったので、ポール・キナーと事前に連絡した上で正午に新宿駅で待ち合わせ、レストランで雇用条件等について話し合いをした後に出社したのであるから、遅刻したことにはならない。

同年五月については、タイムカード(書証略)によると、七日は午前八時五〇分の、八日と一七日は、いずれも午前九時一分の、一六日は、午後一二時二九分の出勤となっており、八日と一七日は各一分の、一六日は三時間二九分の遅刻となる。

同年六月二一日については、タイムカード(書証略)によると、午前八時五四分の出勤となっているので、この日に原告が遅刻したことにはならない。

同年七月については、タイムカード(書証略)によると、九日は午前九時一分に、一六日は午前九時一二分に、一九日は午前九時五分に、二二日と二四日はいずれも午前九時二分に、二五日は午前九時一分に、三〇日は午後一時五六分に各出勤したこととなっているので、九日は一分の、一六日は一二分の、一九日は五分の、二二日と二四日は各二分の、二五日は一分の、三〇日は四時間五六分の遅刻をしたこととなる。

同年八月については、タイムカード(書証略)によると、二一日は午前八時五五分に、二二日は午前九時一分に、二七日は午前九時二分に各出勤したこととなっており、二六日は出勤時間が打刻されていない。しかし、二六日は出勤時刻前に出勤したものの、タイムカードを押し忘れたのであるから、二一日は遅刻とはならず、遅刻となるのは二二日の一分、二七日の二分ということとなる。

同年九月については、タイムカード(書証略)によると、四日は午前九時三分に、五日は午前九時二分に各出勤したこととなっているので、四日は三分の、五日は二分の遅刻をしたこととなる。

同年一一月については、タイムカード(書証略)によると、二六日と二八日はいずれも午前八時四五分に出勤したこととなっており、二一日は出勤時刻が打刻されていない。しかし、二一日はタイムカードを押し忘れたのであって、出勤時刻前に出勤しているので、右各日に原告が遅刻したということはできない。

同年一二月については、タイムカード(書証略)によると、五日は午前九時二分に出勤したこととなっており、四日は出勤時刻が打刻されていない。しかし、四日は、原告がカナダ大使館におけるミーテングのために自宅から直行したためにタイムカードに出勤時刻の打刻ができなかったので、五日に二分遅刻したこととなる。

平成四年一月二〇日については、タイムカード(書証略)によると、午前九時一分に出勤したこととなっているので、一分遅刻したこととなる。

同年二月一四日については、タイムカード(書証略)によると、午前一〇時四三分に出勤したこととなっているので、一時間四三分遅刻したこととなる。

同年三月については、タイムカード(書証略)によると、二五日は午前九時一分に出勤したこととなっているが、一三日と二七日は出勤時刻が打刻されておらず、他に原告の出勤時刻を明らかにする書面はない。したがって、原告は、二五日に一分遅刻したこととなる。

同年四月については、タイムカード(書証略)によると、二〇日は午前九時一分に出勤したこととなっているが、三日と二五日は出勤時刻が打刻されておらず、他に原告の出勤時刻を明らかにする書面はない。したがって、原告は、二〇日に一分の遅刻をしたこととなる。

2  本件解雇の有効性(賃金請求権の有無)について

以上認定したところによると、原告は、被告に雇用された平成三年四月八日から本件解雇に至るまでの間、無断欠勤が一〇日間、遅刻が一九回(このうち一分の遅刻が八回、二分の遅刻が五回、三分と五分の遅刻が各一回、一時間四三分と四時間五六分の遅刻が各一回であり、無断早退が二回(五分と七分とが各一回)であるというのである。

ところで、証拠(書証略、原告の供述)によると、次の事実を認めることができる。

原告の担当業務は前記認定したとおりであるが、この業務の性格上対人関係が多いことから、相手方の都合に合わせて行動しなければならない関係上、厳格に勤務時間どおりに勤務しさえすれば済むというのではなく、出勤時間以前に、あるいは退社時間以後に、場合によっては休日にも勤務に従事しなければならないということが往々にしてあり、このようなことから被告の従業員に対する勤務時間管理も厳格に運用されていたわけではなく、原告に関しても同様であって、原告は被告に雇用されていた間に被告から勤務時間について注意を受けたこともなかった。

ところで、ポール・キナーは、平成三年九月に被告を退職し、この後任事務は坪井が引継いたが、この引継ぎに当たり原告とポール・キナーとの前記特別休暇に関する合意は引き継がれなかったので、坪井はこの合意の存在を知らなかった。このようなことから、坪井は、原告からの休暇申請に対してこの理由を尋ねることもしないで、専ら被告の都合のみによって承認しなかったのであり、とりわけ、五月の連休期間の休暇申請に対しては休暇申請書の受取り自体をも拒絶したほどであった。

以上に認定したところによると、原告が坪井の承認を得ることなく原告の都合のみで休暇を取得したことは責められるべきところであるが、本件紛争のそもそもの原因はポール・キナーが原告との右休暇に関する合意事項を引き継がなかったために坪井がこの存在を知らずに被告の都合によってのみ原告からの休暇申請を一方的に拒絶したという対応の拙劣さにその一端があったということも否定できず、無断欠勤に関して原告のみを一方的に非難することは片手落ちの誹りを免れないであろう。

以上の諸点を考慮すると、本件解雇は些か一方的に過ぎ、解雇権を濫用したものとしてその有効性を認めることはできない。

以上説示したところから明らかなとおり、本件解雇は有効ということはできないから、原告は依然として被告の被用者としての地位を失われておらず、したがって、被告は原告に対し、本件解雇の有効性を主張して原告の就労を拒絶している以上、賃金の支払義務を免れない。

したがって、この点に関する原告の主張は理由がある。

三  不法行為の成否について

本件解雇が解雇権を濫用してなされたとはいっても、本件解雇には解雇理由が一応存したのであり、本件解雇がその効力を有しないこと以上に、本件解雇が違法であるということまでの事情を認めるに足りる証拠はない。

したがって、原告の本件解雇が違法であることを前提とした慰謝料請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

(裁判官 林豊)

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